田辺三菱製薬史料館初の企画展「日本蹴球(サッカー)と田邊五兵衞の系譜」を開催
三菱ケミカルグループの田辺三菱製薬株式会社(本社:大阪市中央区、代表取締役:辻村明広、以下「田辺三菱製薬」)は、3月14日(木)から、大阪本社ビル内で公開する田辺三菱製薬史料館(以下「史料館」)において、史料館開館以来初となる企画展「日本蹴球(サッカー)と田邊五兵衞の系譜」を開催します。
田辺三菱製薬の前身である田辺製薬で社長と会長を歴任した14代田(た)邊(なべ)五(ご)兵(へ)衞(え)(1908~1972年、以下「五兵衞」)は、はやくは大正時代にサッカーの魅力を見出し、生涯をかけて日本サッカーの振興に取り組みました。その功績が評価され、2005年には日本サッカー協会の第1回「日本サッカー殿堂」に「日本サッカーの発展に顕著な功労者」として選出されました。史料館内に設ける企画コーナーでは、日本サッカーの出来事と五兵衞の主な事績に関する年表とともに、五兵衞の自筆資料やゆかりの品を展示し、日本サッカーと五兵衞の歩みをたどります。
展示品1(五兵衞自筆資料「服色考」)
展示品1(五兵衞自筆資料「服色考」)
展示品2(五兵衞収集のサッカーボール)
展示品2(五兵衞収集のサッカーボール)
世界中のあらゆる世代に愛され、今や日本において最も競技人口が多い球技はサッカーです。近年では多くの日本選手が海外のクラブチームで活躍するほど日本サッカーのレベルは向上していますが、サッカーが日本に伝来したのはわずか150年前の1873年とされています。今夏のパリ
オリンピック・パラリンピックに向けてサッカー気運が高まるいま、黎明期の日本サッカーを支えた五兵衞が残した品に触れながら、日本サッカーの歩みと今日とのつながりをぜひ会場で感じてください。
田辺三菱製薬史料館企画展「日本蹴球(サッカー)と田邊五兵衞の系譜」開催概要
会 場:田辺三菱製薬史料館(大阪市中央区道修町3-2-10 田辺三菱製薬本社2階)
会 期:2024年3月14日(木)~9月27日(金) ※会期中、一部展示替えを予定
開館時間:10時~17時(土日祝・会社の休日は休館)
入館:無料、予約は史料館ウェブサイトから
https://www.mtpc-shiryokan.jp/
主 催:田辺三菱製薬株式会社
協 力:一般社団法人 神戸フットボールクラブ
問合せ先:田辺三菱製薬史料館 06-6205-5100(来館に関するお問合せ)
■14代田邊五兵衞
1908年 3月18日大阪府生まれ
1927年 田邊五兵衞商店蹴球部創設
1931年 関西蹴球協会設立に尽力して初代会長就任
1934年 大阪商科大学(現大阪公立大学)卒業
1936年 第11回オリンピック競技会(ベルリン)選手団随行員/派遣費用として多額の寄付
1941年 田辺製薬株式会社取締役社長就任
1946年 大日本蹴球協会会長代行副会長就任
1959年 田辺製薬株式会社取締役会長就任
1963年 神戸サッカー友の会設立、副会長就任
1968年 藍綬褒章を受章
1970年 社団法人神戸フットボールクラブ設立、副会長就任
1972年 勲三等瑞宝章を受章
1972年 死去
2005年 第1回「日本サッカー殿堂」殿堂入り
日本サッカーにおいての先覚者。田辺製薬サッカー部の創部、関西サッカー協会の設立や日本サッカー協会の運営に尽力したほか、少年クラブチームの設立、女子サッカーや女子審判の育成までサッカー界の発展に広く寄与した。国内外のサッカー事情に詳しく、日本サッカー協会機関誌等を通してサッカーの情報を広く提供。特に、1962~1971年まで機関誌に連載された「烏球亭(うきゅうてい)雑話(ざつわ)」が有名である。
日本サッカー殿堂 五兵衞のレリーフ
日本サッカー殿堂 五兵衞のレリーフ
■田辺三菱製薬史料館
2015年に本社ビル2階に開館した史料館。江戸時代から今日まで、345年を超える田辺三菱製薬の歴史とともに、日本の医薬品産業の中心地として栄える大阪・道修町の歴史や医薬品産業の変遷を紹介。
「田辺三菱製薬のルーツを辿る くすりの道修町ゾーン」「田辺三菱製薬の歴史を巡る あゆみゾーン」「田辺三菱製薬の次代を拓く
いまと未来ゾーン」の3つのエリアで構成され、大阪・道修町の歴史と文化、医薬品の理解を深めるための市民向け展示施設。
田辺三菱製薬史料館
田辺三菱製薬史料館
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